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真珠湾攻撃は、アメリカ太平洋艦隊の勢力、すなわち対日戦闘力を一気に 壊滅する目的で敢行された。
アメリカ軍は当初、対日本の開戦が決定的となった段階で、 日本の初期の攻撃目標は東南アジアだと想定していた。 当然、ハワイは戦略目標じゃないと考えられていた。
ただ、ここにいわゆるルーズベルトの陰謀論や単なる錯誤と言う諸説がある。 ルーズベルトはモンロー政策の公約で大統領になった人である。
日本が真珠湾を攻めたのは、アメリカ太平洋艦隊の、 空母を中心とする機動部隊を一挙に壊滅して、太平洋の制海権をどんな手段を使おうが、 とにかく握ろうと言う目的であった。
当事、アメリカ太平洋艦隊は、大西洋との2正面作戦(対ドイツ戦)の 影響で、対日戦に割ける戦力は、本当にギリギリ勝てる程度だった。 ドイツは本当に強かったし、陸続きのドイツが勝つ事の影響力が、欧州では 計り知れなかった。
初期の真珠湾攻撃で太平洋艦隊を壊滅させることができれば、日本は 太平洋の島々をことごとく占領する事が出来て、資源を確保して長期持久戦に 持ち込む事が可能だった。
なぜなら、豪州は弱小艦隊であり、イギリス太平洋艦隊もそう。 アメリカ海軍の空母機動部隊さえ駆逐すれば、太平洋で日本軍の占領政策を 阻止できる国など存在しなかった。
日本は、大本営の大反対にもかかわらず、日本海海戦以来、 大艦巨砲主義による戦艦同士の艦隊決戦主義を国防方針と定めた 帝国国防方針(1907年策定、仮想敵国米国)を破って、山本五十六 連合艦隊司令長官の方針に基づいて、敵国(米国)の艦隊が停泊する 真珠湾を宣戦布告と共に一挙に壊滅させるつもりで真珠湾を攻撃した。
日本海海戦は艦隊戦史上、類を見ない圧勝で日本がロシアを破った局地戦。
日本は真珠湾を攻撃して、どんな手を使おうがアメリカ軍の空母機動部隊を 一挙に壊滅させるつもりで攻撃したにも関わらず、真珠湾にはアメリカ軍の空母が 1隻たりともいなかった。
ちなみに1941年12月8日は日曜日。 普通に考えて、洋上訓練をしてるわけが無いシチュエーション。 しかたなく日本軍は、真珠湾に停泊していたアメリカ軍の戦艦、巡洋艦、駆逐艦を 攻撃したけど、この時代の戦争にとって、それはオマケの戦力を撃破したにすぎなかった。
とはいえ、機動部隊の主力は空母とは言いながら、護衛戦力を一挙に失ったと言う意味で 無意味ではなかった。
と言う事で、真珠湾攻撃は、ルーズベルトの陰謀かどうかはおいといて、日本の 奇襲の結果、そもそもの目的であった敵空母を1隻たりとも補足できなかった。
一番理想的な絵では、真珠湾でアメリカ太平洋艦隊の空母機動部隊を 一瞬で壊滅させて、フィジー、サモア、ポートモレスビー以東の太平洋の 制海権を抑えて、南方の資源を抑える事で、 長期戦も厭わずという体制を確立させる事が目的だったが、残念ながら その初期の目的は半分しか達成できなかった。
すなわち、主力空母群の撃滅には失敗したが、護衛艦隊の壊滅には 成功したので、日本海軍は、太平洋でアメリカ軍に対して優勢に立つ事が出来た。 つまり、攻撃点を日本軍が任意に定めることが出来た。 (アメリカ軍は劣勢なので、攻勢に出る事が出来なかった。)
当初の目論見どおり、真珠湾でアメリカ空母部隊を 撃滅できていれば、日本は(その後の歴史が示すとおり)ラバウル やガダルカナル以東を完全に占領して、その後ハワイを占領を 目指しただろう。
ハワイを占領することができれば、アメリカは和平に応じるだろうと言う、 楽観的な思いを日本の大本営は持っていたようだ。 これには懐疑的な意見もあるが、条件によってはありえなくも無い。
これが太平洋戦争開戦1年で、大本営、海軍が描いていた 終戦の、最良に進んだ場合のシナリオだった。
しかしながら意外にも、そこに4隻いるはずの空母は 1隻たりともいなかった。 これが、後に続く、ルーズベルトの、対日戦争陰謀論。 陰謀と言うといかにも怪しげに聞こえるが、これはかなり信憑性がある。 つまり、ルーズベルトは、対日・対ドイツ戦争には絶対に参加しないと言う モンロー政策を掲げて当選した大統領だったから。
戦争に参加したら、その最大の公約を破る事になるから 、日本に奇襲させ、戦争の口火を切らす事で、第二次世界大戦 への参戦の口実を得ようとした、と言う考え。
日本は事実上真珠湾攻撃に半分成功し、半分失敗した。 護衛艦隊群は殲滅したけれど、主力空母は取り逃がしたから。
しかし、日本はそれでも太平洋の戦力図では圧倒的にアメリカに対して 有利になった。 高速戦艦(比叡・霧島)に護衛された大型正規空母(赤城・加賀・翔鶴・蒼竜・ 飛竜、瑞鶴)は、まさに1942年当事、間違いなく世界最強だったから。
しかし、 アメリカ軍は、劣勢の太平洋戦争で、一矢報いてやろうと、東京に向かって 小型で短足のB-25による、東京空爆を1942年に挙行した。
少し話を戻すと、真珠湾攻撃でアメリカ海軍の戦艦を8隻沈没・擱座させた日本軍は (この時、第二波攻撃を行わなかった南雲のせいで、海軍工廠は無傷立った為に その後6隻がサルベージされて、結局被害は戦艦2隻にとどまった。ただし艦隊復帰には 数年かかった)、太平洋での優位を確保して、戦争の主導権を握る事ができた。
ちなみにアメリカ海軍だけじゃなくて、真珠湾攻撃の2日後にはマレー沖海戦で、航空機の 攻撃だけでイギリス海軍の不沈艦といわれたプリンスオブウェールズを旗艦とする艦隊を 撃滅し、まさに太平洋は日本の海となって、マレー作戦から始まってMO作戦にいたるまで、 南方の主要根拠地を全て占領する事に成功した。
そして、MO作戦、すなわちニューギニア島にあるポートモレスビー基地を奪って、 アメリカと豪州の連絡を遮断して、豪州軍を屈服もしくは休戦に持ち込む目的での MO作戦を発動するが、ポートモレスビーは陸戦では容易に陥落しないと 判断されて、海軍が海上から攻撃をする事になった。
この作戦を、すでにアメリカ軍は日本海軍常務用暗号を解読する事に成功して察知 いたので、これを阻止するべく、大型空母レキシントンを主力とする空母機動部隊を 差し向けて海戦が起こった。 いわゆる珊瑚海海戦。
珊瑚海海戦では、日本はアメリカの誇る大型空母(基準排水量で3万トンを超え、 満載時は4万トンを超えるという当時の水準ではまさに世界最大級の空母)を撃沈し、 中型空母のヨークタウンを中破させるなどの大戦果をあげたが、日本側は祥鳳(軽空母) を失い、翔鶴(当時日本の最新空母)が中破したに過ぎなかった。
ただし、この戦闘では艦載機の被害が甚大で、このままでは空母も危ういと判断した 井上成美艦隊司令官は、MO作戦の中止を決断して、戦場から撤退した。
その意味において、この戦いは日本の戦術的な勝利ではあるが、戦略的な敗北で あるとされる。 しかし、実際にはレキシントンを撃破する事に成功し、現にアメリカ海軍も同時期に戦場から 撤退してたので、この井上成美の判断は、今に至るまで誤りだったとされる事が多い。
ちなみに、珊瑚海海戦は、世界初の機動部隊同士(空母を中心とする艦隊)の海戦とされる。
海上からのポートモレスビー奪取を断念した大本営は、困難とされていた陸路からの 攻撃を敢行して、東部ニューギニアの戦いが起こるも、結果として大敗北をしてる。
そして、この数ヵ月後にミッドウェー海戦が起こる。
ミッドウェー海戦は、元々戦争の遂行計画に当初から入っていたわけではないが、 先に少し触れた、空母ホーネットから発艦したB-25による東京空爆(被害は大した事無かった)に 衝撃を受けた山本五十六と大本営は、真珠湾で取り逃がしたアメリカ太平洋艦隊の空母 殲滅を画策してミッドウェー攻略を敢行する。
ミッドウェーはハワイに近く、アメリカ軍としては絶対に失えない戦略上の要衝だったので、 日本海軍がミッドウェーを占領すれば、必ずアメリカ空母が出てくるはずだと読んだ作戦だった。 つまり、日本海軍はまず楽勝でミッドウェーを占領し、その後でてくるであろうアメリカ機動部隊を 殲滅しようと計画した。
ちなみに東京空爆の目的は、真珠湾以降連戦連敗を繰り返していたアメリカが、 喪失していた士気を鼓舞すると言う程度の目的しかなかった。 B-25も空母に戻れるほどの航続距離が無いので、そのまま中国大陸に不時着してる くらいの、いい加減な作戦。
そして、いよいよ帝国海軍の墓場であり、敗戦への一里塚となったミッドウェーの海戦。
この海戦当時、アメリカ軍は4隻の空母を太平洋に持っていた。 サラトガとヨークタウン、ホーネットとエンタープライズ。 このうちヨークタウンは、1ヶ月前の珊瑚海海戦で中破させていたので、ミッドウェー戦に 参加できないと日本は踏んでいた。 サラトガは、その所在をアメリカ西海岸に確認していたので、アメリカ軍は2隻の空母で ミッドウェーに反攻してくると想定したが、実際にはヨークタウンが応急修理で 参加して、3隻の空母が参加する事になった。 それでも、アメリカ側は護衛戦艦が皆無で、巡洋艦による護衛がついていただけ。 一方日本は、練度も最高で実戦経験も豊富な蒼竜、飛竜、加賀、赤城の正規空母4隻を 中心とする戦力に、護衛戦艦2隻と重巡洋艦10隻、軽巡洋艦6隻をつけてミッドウェーを 目指した。 ちなみにアメリカの護衛艦隊は戦艦0、重巡洋艦7、軽巡洋艦1と、圧倒的に劣勢だった。
当時世界最強を疑う余地がない日本の空母機動部隊が、その大勢力で いよいよ1942年6月、山本五十六司令長官の下、南雲艦隊司令長官の指揮で ミッドウェーに向けて進軍を開始した。誰一人楽勝を疑いもせず。
ミッドウェーを攻撃圏内に納めた日本空母群は、さっそく艦上攻撃機による ミッドウェー基地への第一次攻撃を開始する。 この時の兵装は当然爆弾。 攻撃機は爆弾を装備して空爆をする事もできるし、魚雷を装備して戦艦を雷撃 する事もできる。これが後々重大なポイントになる。
- 戦闘機・・対戦闘機・対攻撃機・対爆撃機・たまに対地対艦
- 攻撃機・・対地爆撃・対艦(主に雷撃)
- 爆撃機・・戦術・戦略爆撃・対地対艦急降下爆撃
零戦は戦闘機
この時点で、日本機動部隊はアメリカの機動部隊が日本の攻撃を阻止する目的で 近づきつつある事を全く知らず、予期していなかった。 そして、ミッドウェー第一次攻撃陣による攻撃はそれほどの戦果を挙げられなかったので、 南雲は第二次攻撃を決断する。
ちなみにこのタイミングで、ミッドウェーからの攻撃機が日本空母群に来襲するも、 そのほとんど全てが空母護衛の零戦に駆逐されて、日本の艦隊は完全に無傷だった。
ミッドウェーからの攻撃機を駆逐した南雲は、第二波の攻撃を加えるべく 爆弾を装填した攻撃機で攻撃命令を下そうとしたその時、重巡洋艦利根所属の 哨戒機、利根4号機から、アメリカ艦隊発見の一報が入った。 その第一報に続いてほどなくして、敵は空母を伴うアメリカの主力空母部隊 である事が判明した。
つまり、ミッドウェーを陥落させた後に出てくるであろうと予期していた敵機動部隊が、 ミッドウェー攻撃中に現れ、しかもすでに敵(当然味方にとっても)空母の攻撃圏内 に居る事が突如として判明した。
敵機動部隊を発見した南雲はここで悩んだ。 この時の状況は、
- ミッドウェー第一次攻撃隊が空母上空に帰投し始めていて、 燃料の残りも少なく早く着艦すべき状況である。
- 機動部隊同士の戦闘は先手する事が勝利の絶対条件なので、今すぐ攻撃をしかけるべき。
- しかし、空母は味方の攻撃機の発艦を同時には当然行えない。どちらか先に選ばなくてはならない。
- 今攻撃準備状態にある攻撃機は兵装が基地攻撃用の爆装であり、 艦隊を攻撃するには破壊力が弱い。
- この際、先手必勝の機動部隊の原則で、兵装を魚雷に換装せずに とにかく攻撃に向かわせるか?それとも魚雷に装填し直すか?
つまり、 爆装のまま敵艦隊を攻撃するか。味方を着艦させて魚雷に差し替えるか? という選択肢を迫られた。
戦艦は装甲が厚くて、吃水線より上(水から上の部分)に爆弾を命中させても 撃沈する事はできないというのが、一応の常識。 魚雷は、当時の戦術では目標の1km手前ほどで投下して、吃水線より下の 装甲を破るので、撃沈を目的とするならこちらのほうが破壊力が上とされた。
この時に南雲が下した結論。
- 攻撃機隊の発艦は、第一次攻撃隊の補給を終えてから攻撃する。
- 基地攻撃用の爆装を雷装(魚雷)に換装をし、その後敵艦隊を攻撃する。
ちなみにこの時、飛竜座乗の第二航空戦隊司令官の山口多聞は、まず 攻撃機隊を、爆装のままで構わないから敵艦隊攻撃に向かわせて後、 味方の補給をするべきであると南雲司令長官に意見具申をして却下されている。
ちなみに山口多聞は、当時も今も、アメリカ海軍の中でも、もっとも有能な軍人と して評価の高い軍人で、海軍甲事件(1943年4月18日)で山本五十六が 戦死したときに、ニミッツ提督が、「山本を殺しても、後任に山口が就任するの であれば意味が無いのではないか?」と部下に諮問して、「長官、山口はもう 死んでますよ」と言わしめたというエピソードがある。
これに対して、劣勢のアメリカ軍が下した決断
- 日本機動部隊を発見後、速やかに攻撃機隊を発艦させる。
- 当初のプランでは、雷撃機隊と爆撃機隊の両方で日本機動部隊を攻撃する計画だった。
- しかし、準備が整わないまま日本軍の哨戒機(利根4号機)に発見された事を悟った。 フレッチャー司令長官は、準備が整った攻撃機からとにかく空母を攻撃に逝けと決断した。
- ちなみに、小戦力の小出しは、「戦力の逐次投入」と言って、 軍事上初歩の初歩の、絶対に犯してはならないタブー。
- この結果、まず雷撃機隊が日本機動部隊に襲い掛かる事となった。
- それからだいぶ遅れて、アメリカ軍爆撃機隊が日本機動部隊上空に到着した。
ちなみにハワイを出港するとき、ニミッツ太平洋艦隊司令長官から、フレッチャーは、空母以外を 絶対に攻撃するなと命令されていた。 劣勢のアメリカ軍は、目標の選択と戦力の集中という原則に忠実に、これを実行した。
先手を取らないと、機動部隊同士の戦闘は負ける可能性が相当高い。 魚雷は相手の撃沈を目指すが、爆撃は空母の飛行甲板を破壊して空母としての 機能を奪う。 この場合、爆装で攻撃を仕掛けていたら、沈没させられなくても、飛行甲板を 破壊できたのは間違いないし、甲板上を破壊する事で事実上戦力を無力化する事は 可能だった。
空母には普通、上空に護衛戦闘機がついてる。 この場合も、零戦が上空で護衛についていた。 だから、わずかの数の攻撃機で攻めても撃墜される可能性が高いという事。 目標の選択と戦力の集中って意味では、とにかく空母だけを目指せという事に すぎないが、結果としてこの積極的攻撃策は「失敗でもある大成功」に 終わる。
おそらくフレッチャーは、劣勢の中でもなんとか先制攻撃で有利に戦闘を 行えれば、という、願うような気持ちで、先手を打ったのでだろう。 実際に、空母は先に攻撃をしたほうが勝つ可能性も高いわけである。
そして、ついにその時、日本機動部隊の壊滅の時が来た。
第一次攻撃隊の収容を終えて攻撃機の爆弾を外し、魚雷を装填するという作業を 行っていた日本空母群は、甲板上にも燃料満載の攻撃機や爆弾、魚雷が山ほど あるという、極めて危険な状態にあった。
そこに、アメリカの攻撃第一波である雷撃機隊が襲い掛かった。 ちなみに攻撃機は、魚雷攻撃をする際は低空飛行で目標に近づき、目標の1km手前で 魚雷を投下して戦場を離脱する。 これに対して爆弾を投下するときには、高高度で目標に近づき、目標に対して急降下 をして爆撃を行う。
先にミッドウェーから飛来した攻撃機隊は雷撃機隊だった。 そして、この敵空母からの第一波攻撃も雷撃機隊だった。 つまり低空飛行で攻撃をしてきたのである。
この際飛来した、敵空母の第一波も、練度の高い零戦の敵ではなかった。 しかも戦力の逐次投入でもあり、日本側の艦隊は1発の命中弾を受ける事もなく、 第一波の攻撃隊を全て駆逐した。
しかしここで、日本は決定的なミスを犯す。
アメリカ軍は雷撃機隊で繰り返し攻撃を行ってきたので、護衛戦闘機隊は、 意識が低空に逝って、護衛の高度を雷撃機対応の為に下げたのである。
そこに、遅れて到着した第二波、つまり攻撃機の爆撃機隊が襲い掛かった。 当然高高度からの急降下爆撃によって。 だから、この攻撃は低空に下りていた護衛の零戦隊をすり抜ける形で、 極めて偶然の繰り返しの産物として発生した好条件の下で行われる事に なってしまった。
この際にアメリカ軍の攻撃隊に発見されていたのは4隻の空母のうち蒼竜と 赤城と加賀で、飛竜だけはまだ発見されていなかった。
爆撃機隊は蒼竜と加賀、赤城に急降下爆撃で襲い掛かり、護衛戦闘機の 援護も間に合わず、空母に命中弾が出始めた。 しかしそれでも、日本空母は巧みな操艦技術で多くの爆撃をかわした。 しかしながら、加賀に4発、蒼竜に3発、赤城に2発の爆弾が命中した。
先手を取らないと、機動部隊同士の戦闘は負ける可能性が相当高い。 魚雷は相手の撃沈を目指すけど、爆撃は空母の飛行甲板を破壊して空母としての 機能を奪う。 この場合、爆装で攻撃を仕掛けていたら、沈没させられなくても、飛行甲板を 破壊できたのは間違いないし、甲板上を破壊する事で事実上戦力を無力化する事は 可能だった。
空母には普通、上空に護衛戦闘機がついてる。 この場合も、零戦が上空で護衛についていた。 だから、わずかの数の攻撃機で攻めても撃墜される可能性が高いという事。 目標の選択と戦力の集中って意味では、とにかく空母だけを目指せという事に すぎないが、結果としてこの積極的攻撃策は「失敗でもある大成功」に 終わる。
おそらくフレッチャーは、劣勢の中でもなんとか先制攻撃で有利に戦闘を 行えれば、という、願うような気持ちで、先手を打ったのでだろう。 実際に、空母は先に攻撃をしたほうが勝つ可能性も高いわけである。
そして、ついにその時、日本機動部隊の壊滅の時が来た。
第一次攻撃隊の収容を終えて攻撃機の爆弾を外し、魚雷を装填するという作業を 行っていた日本空母群は、甲板上にも燃料満載の攻撃機や爆弾、魚雷が山ほど あるという、極めて危険な状態にあった。
そこに、アメリカの攻撃第一波である雷撃機隊が襲い掛かった。 ちなみに攻撃機は、魚雷攻撃をする際は低空飛行で目標に近づき、目標の1km手前で 魚雷を投下して戦場を離脱する。 これに対して爆弾を投下するときには、高高度で目標に近づき、目標に対して急降下 をして爆撃を行う。
先にミッドウェーから飛来した攻撃機隊は雷撃機隊だった。 そして、この敵空母からの第一波攻撃も雷撃機隊だった。 つまり低空飛行で攻撃をしてきたのである。
この際飛来した、敵空母の第一波も、練度の高い零戦の敵ではなかった。 しかも戦力の逐次投入でもあり、日本側の艦隊は1発の命中弾を受ける事もなく、 第一波の攻撃隊を全て駆逐した。
しかしここで、日本は決定的なミスを犯す。
アメリカ軍は雷撃機隊で繰り返し攻撃を行ってきたので、護衛戦闘機隊は、 意識が低空に逝って、護衛の高度を雷撃機対応の為に下げたのである。
そこに、遅れて到着した第二波、つまり攻撃機の爆撃機隊が襲い掛かった。 当然高高度からの急降下爆撃によって。 だから、この攻撃は低空に下りていた護衛の零戦隊をすり抜ける形で、 極めて偶然の繰り返しの産物として発生した好条件の下で行われる事に なってしまった。
この際にアメリカ軍の攻撃隊に発見されていたのは4隻の空母のうち蒼竜と 赤城と加賀で、飛竜だけはまだ発見されていなかった。
爆撃機隊は蒼竜と加賀、赤城に急降下爆撃で襲い掛かり、護衛戦闘機の 援護も間に合わず、空母に命中弾が出始めた。 しかしそれでも、日本空母は巧みな操艦技術で多くの爆撃をかわした。 しかしながら、加賀に4発、蒼竜に3発、赤城に2発の爆弾が命中した。
ちなみに陸軍は、海軍に対して、空母だけじゃなくて輸送船も 攻撃・破壊しろ!と何度も申し入れていたが、ヒットラーに 「仇同士」と揶揄された陸軍と海軍は、最後まで犬猿の仲で、 海軍の通商破壊をしなかった。
もっとも、仮にハワイを占領したところで、黄禍論と 人種差別思想に凝り固まっていたルーズベルトとアメリカが、 日本に有利な形で和平に応じたとはとても考えられない。
伊400の大艦隊で、晴嵐によるサンフランシスコ大空爆とか できていたら可能だったかもしれないけが。
ちなみに、アメリカ人の民間人攻撃は異常。 先のB-25の東京空爆のとき、機銃掃射で小学生を狙って 殺してるくらい。
1942年末にガダルカナルの撤退が決定されて、アメリカがガダルカナルを 完全確保してからは、水が流れるように日本陸軍は崩壊していった。
ちなみにガダルカナル島はガ島と略され、あまりにもひどい飢餓状態で日本軍は 戦った事から、下記のような言葉が生まれた。
- 立つことの出来る人間は、寿命30日間
- 身体を起こして座れる人間は、3週間
- 寝たきり起きられない人間は、1週間
- 寝たまま小便をするものは、3日間
- もの言わなくなったものは、2日間
- またたきしなくなったものは、明日
この戦いの最中でも、アメリカ軍は日曜日にはテニスをしていたらしい。
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